「人は見た目じゃない」とは言い切れない自分がいる
こんにちは、オクラノです。
今、わたしの顔が何らかのアレルギー反応でパンパンに腫れています。
目はいつもの2分の1ほどしか開いてません。まぶたもパンパン。
わたしは年に1~2回、顔がパンパンに腫れて「とても人前には出られない!」と思うような状態になります。
しかも、この状態が3~5日間続く。
こんな状態になっていつも思うのは「人は見た目じゃないなんて、ただのきれい事だ!」ということ。
わたしだって「人は見た目じゃない」と言い切りたいです。
でも、自分の顔面が受け入れられないとなると矛盾しているのでは……?
【目次】
何回みても慣れない顔面
本当に何回鏡で見てもひどい。
この状態になったら、清潔にし、髪の毛が顔に当たらないようにして、薬をこまめに塗る。これをくりかえすしか、手だてはありません。
顔が本当に別人のようになってしまうので、誰にも会いたくない。
外に出るのはもちろん、家族に会うのも苦痛。
今の自分の姿を誰にも見られたくないし、たとえ会った人に「気にしないよ」と言われても自分が気にするから普段通り過ごせない。
こういうとき「人は見た目じゃない」という主張が自分の中でグラグラとゆらぐ。
自分に思うことは、他人にも思う……はず
「自分の見た目を気にする」癖があるかぎり、他人に対しても「人は見た目じゃない」なんて言えないんじゃないかと思うのです。
「人は見た目じゃない」と言い切れる自分でいたいけれど、そうじゃない自分が確実に存在する。
自分に対して思うことを、他人には思わない自信がない。
「自分の見た目は気にするけど、他人の見た目はどうでもいい!」っていうのは、また別のベクトルの考え方のような気がするし。
うーん。
すっきり答えを出したいけれど、なんかモヤモヤとして答えが出ません!
……もうちょっと「見た目問題」について考えてみようと思います。
▼重い腰を上げて検査してきました
わたしからは以上!オクラノでした。