周りに「感じ悪い」と思われたら終わり?無理な気遣いで自分の首を絞めていた話
他人に「こいつ気が利けへんな」とか「空気読まれへんな」と思われる=人として終わり だと思ってました。
こんにちは、オクラノです。
こんな考え方が染みついていたせいか、周りの人に感じ悪い印象を与えないようキャパオーバーの気遣いをしてました。
そして疲れた!!!!!
イヤイヤでも気遣いしてたら「いつか自然と自分の心が広くなっていくだろう」と希望を抱いてましたが、まったくそんなことない。
むしろイヤイヤやってると、周りの人にも同じ気遣いを要求するようになる。
そしてどんどんイヤなやつになって、さらに自分が嫌いになる。
そんな悪循環に気がついたので、今日は【気遣い】をテーマに記事を書いていきます。
【目次】
とりあえず声をかけないといけない病
たとえば、友人とカラオケに行ったとき。
自分の飲み物がなくなったのでドリンクバーへ行く。このとき友人のグラスも確認して空だったら「何か飲み物いる?」と聞く。
よくあるこの一連の流れ。
自分の心に余裕があるときはなんとも思わない。だけど、余裕がないときは「正直、やりたくないな」と思いつつ声をかける。
ここで声をかけずにいってしまうと「感じ悪い」から。
マイナスな状態(疲れてたり、なんか気分が上がらないときなど)で【気遣い】をすると、心がめちゃくちゃ疲れる。
そして「え、毎回わたしがジュース入れにいくの?」って状態に勝手に陥る。
さらには「わたしが声かけると思って、わざと飲み物取りに行かないのでは?」とか「ありがとうって言えば何でもやってもらえると思ってない?」と被害妄想しだす始末。
自分発信でやっている【気遣い】のはずが、相手に勝手に泥を塗り出す。
そして勝手にイラつく自分がイヤでイヤで仕方がない。
本当はやりたくないんです
物事の大小あれど、こんなの↑って生きてたら絶対に遭遇する。それも山ほど。
学生時代なら「友人にノート見せる or 見せない」
家なら「他の人の食器をついでに洗う or 洗わない」
会社勤めなら「あきらかに面倒な雑務を買って出る or 出ない」etc.
本当はイヤだけど、空気を読んで引き受けてしまう。
本当はめちゃくちゃ心狭いけど「感じ悪い」と思われるのがすごく怖い。だから頼まれてもないのに動いてしまう。
「心の広い、気が利く人間でなければならない」って呪いにかかってました。
やってもらって当たり前じゃない
最近は【気が利く】は【パシリ】と紙一重なのでは?と考えるようになりました。
そもそも「何か飲み物いる?」と声をかけないだけで「感じ悪い」と思うのってちゃんちゃらおかしい。
裏を返せば「気にかけてもらえることが当たり前だと思ってる」ってことだもの。
冷静に考えたら「気遣いしても加点ゼロ、気遣いがなければ減点って何様のつもりなんだよ!」って話なんです。
会社に勤めてた頃【人を減点法で見る人】がいたけど、その人の基準に合わせて精神すり減らす必要なかったなぁ、と今になって思う。
【気が利く】は強制ではなくプラスアルファ
【気遣い】って自分の心の余った部分でするものであって、自分の身を削ってまですることではない。
今のわたしが思う【気遣い】は
- 「いつも助けてもらってるから」
- 「ちょっとでも役立てばいいな」
- 「ついでにやっとくか!」
みたいな気持ちで自発的に行うもの。
【気遣い】は強制されるべき行動じゃないよね。
そこに今まで気づけなかった。
ぜーんぶ心が狭い自分が悪いと思ってた。
でも「そうじゃない!」って思えるようになったら心がめちゃくちゃ楽になった。
無理矢理気遣いする必要ないよ。あくまでプラスアルファですよ。
自分の心が常に他人のことを考えていられるほど広くないこと。
心が狭いわたしでも自発的に「あ、これやっといたら助かるかな」って行動することがあるってこと。
このふたつを自覚してたら、もうちょっと生きやすくなるんじゃないかな。
自分を必要以上に責める必要ない。
わたしからは以上!オクラノでした。